福光
2014年03月12日 00:07
3年目の春。3月の春のような冬。
簡単に癒えるわけのない傷をその痛みを自分のものとして忘れたくない。
あの大震災でたくさんの大切な尊い尊い命が失われたこと。
その一つ一つの命に家族があり友達がいて、どれだけの人が悲しみ涙を流して踏ん張って今を生きているかということ。
東北の方の話を聞いて逆にこちらが、
「自分自身に負けちゃいけない!」 「私も東北の方のようにもっと強くあろう!」と奮い立たせて頂くことが多くあります。
希望を送れる人間に。どこまでも目の前の一人を大切にできる人間になっていきたいです。
“一番苦労した人が一番に幸せになる!!”
私はそう信じます。
東北の方のますますの福光と、亡くなった方々に心からの追悼の祈りを心より送りします。
笑顔が咲き香る福光の春を皆で呼びましょう!!!!
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それで、当時出かけた施設や名所を今日Webで調べてみました。
そしたら、みんな頑張っていることがわかって嬉しかった!
たとえば、唐桑半島にある漁火パークは仮設住宅の人達と一緒に頑張っていると書いてあったし、明治三陸大津波(1896年)の際に先端部分の約2メートルが折れた「折石」は3.11の津波では折れなかったそうです!
良かった!
さらに、この近くには、津波体験館というのがあって、大画面に津波が写って観客席が振動するという施設があったのですがこれも健在!
頑張ってる!
また、出かけてみようと思います。
忘れる罪悪感は持ってはダメだよ!って息子を亡くした時に、ある人に言われました。
もちろん息子の事を思い出さない日はありません。でもあの日の辛い気持ちは薄れてきています。
振り返る事は大事ですが、振り返ってばかりではダメですよね!
いつか、胸を張って息子に会えるような生き方をしなきゃいけませんよね!そんな事を考える1日でした。
以前、自分が地元の和太鼓チームにいた頃、全日本太鼓フェスティバルというイベントで陸前高田市に招待され、太鼓を叩いたり交流会等で、美味しい海の幸をごちそうになり、凄くお世話になった方々がいた町が、一瞬で波にのまれ見るも無残な景色になってしまったこと・・・
陸前高田市には、確か、けんか七夕太鼓というチームがあり、チームの皆さんとも交流した事があったので凄く心配しました。
当時はチームを引退した私ですが、チームが義援金チャリティーライブをやるという事で陰ながら援助し、なんとか力になれないかと試行錯誤しました。
三年経っても、陸前高田市は瓦礫は多少なくなっても、更地状態です。陸前高田市だけの問題ではありませんが、今だ復興に時間がかかる東北ですが、それでも地域の皆さんが元気に頑張っている姿を見ると、元どおりにはならないにしても、以前の様な生活が早く出来たらいいな~と思う今日この頃でした。
時が経てば記憶が薄れるだろうけど決して忘れてはいけない事だと思います。でも前を見なきゃ先に進めないことも事実!!
辛い出来事を胸に刻み、前を向いて歩こう!!
その先には明るい未来が必ずあるから・・・
そう信じて!!